atgtko

アクセスカウンタ

zoom RSS 馬齢を重ねて遂に80歳代夢幻の如くなり・Part2・・・私の戯れ言その1302

<<   作成日時 : 2013/02/19 15:59   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

スキーの思い出は友達の思いで・・・・
本格的なスキー靴でなくてもスニーカーで履ける簡単なスキーが開発されたと新聞かテレビで報道されたが、どうもよく分からない。と言うのは私は65年以上前北信(北長野)のある町に疎開したが、雪の多い町で通学の為駅まで行くのにスキーは必需品だった。当然冬は通学に際してゴム長靴或いは雪靴を穿いていたが。、そのままスキーを履いて駅まで行った。私は当時中学生だったが、そもそも当時スキーを履くには特別の靴が必要だとは考えていなかった。東京に帰り高等学校に進学してスキーに行く時に初めて特別な靴を必要とする事に気付いた。
尤も当時のカンダハー式ビンディングはゴム長靴で履ける簡単なビンディングと違ってスキー靴が必要だった。私の当時のスキー靴は登山靴兼用の物で長い事愛用していた。
東京に帰ってからスキーを始めたのは菅平が最初だったが、当時まだスキーをする人は殆ど居なくって、2組か3組だった。当時の私の仲の良かった友達も死んだり動けなくなったりで、元気で残っている友達も少なくなったが、その時の最初にスキーに行った仲間は数少ない元気な仲間だ。当時の仲間との写真が残っているが、サングラスの所だけ白く残って所謂逆パンダの二人だった。

スキーは大学にいる内は続けていたが、私の習ったスキーは当時流行りだったフランス型のテールに体重を掛け身体の振り回しを使ってパラレル回転する方式だった。子供達の時代はエッジを立てて廻る方式で、馬鹿にされた物だった。

スキーをした仲間達も死んでスキー仲間は最初の逆パンダの友達だけになり、時折電話を掛けてくるが、二人とも何時まで元気で往き来する事が出来るのだろう。

地見屋・・・・
先日テレビで米国で最近小銭拾いが多いとの報道があった、小銭拾いは笑点のギャグか後進国の事かと思っていたが、いよいよ世界不況もここまで来たかと「考え一入」だった。
ところで特に仲が良かったわけでもなかったが、私の教養学部の同じクラスで、千住の医者の息子だったが、地味屋と称して千住から駒場の往復に「小銭とあれば拾い警察に届ける必要のある大きなお金は踏んづけて通る」強者が居たのを思いだした、彼は高校も一緒だったが少々変わり者で理科2類に入りながら法学部に行った。

「ガラケー」
「ガラケー」とはがらくた携帯の事だと思っていた人もいるようだが、私も相変わらず「ガラケー」を使っている。勿論「ガラケー」がガラパゴス携帯の事とは知っているし、子供の使っているスマホが便利な事は時折来る子供がスマホを使って南極越冬隊のメンバーだった私の昔の同級生の名前迄直ぐに調べる事の便利さも分かるが、私は相変わらず「がらくた携帯」を使っている。結構「がらくた携帯」でも電話やメールの遣り取りとして便利だし、電話帳・時計・予定表・メモ代わりのカメラとして充分使える、変える必要を認めない。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
馬齢を重ねて遂に80歳代夢幻の如くなり・Part2・・・私の戯れ言その1302 atgtko/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる