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zoom RSS 馬齢を重ねて遂に80歳夢幻の如くなり・Part1・・・私の戯れ言その1212

<<   作成日時 : 2012/12/04 13:34   >>

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総てこの世はは重力が支配かな・・・・「重力に支配」と言うと重力支配のない宇宙を想像するだろう。私は子供の時から永久運動に憧れていた。理系学問を専攻した私は「永久運動は理論的にない」事は判ったが永久運動の話しを聞くと心が躍る。

宇宙では「重力の支配」からは逃れられるが「摩擦力の支配」からは免れようがない。昔、一つがいずつの鶏と猫を飼う話があった、それぞれが二つがいの子を産んだらその最初のつがいを殺して鳥は猫の餌に猫は鳥の餌にする、その時に三味線用の猫の皮と二つがいの子を産むまでの卵が利得となる、これを繰り返せば原価ゼロで永久に利得が得られる。この話は何処かにまやかしのあるパラドックスだが、子供心にこの話しを聞いた時に永久運動は成立するのだと思ったモノだ。
 
動植物の生殖による種の保存は永久運動かも知れないが、それは科学の介入する分野ではなく、自然に古から繰り返されてきた事であろう。
iPS細胞は力学の世界ではないけれど、永久運動の一種でこの生殖作業を科学の分野に引き込むモノだろう。勿論これらの事に私は反対する訳ではないが、一種の永久運動として胸ときめかしている。

道と術(剣道と抜刀術)
私が剣道を習いだしたのは小学1年生の時からだった、小学校の卒業から(尤も私が卒業した時は国民学校と名前が変わっていたが)戦争が終わる中学生の時まで小学校のとなりにあった道場に通っていた。低学年の頃小さな子供だった私には剣道の道具は持ち重りがして柔道を習っている子が羨ましかった。中学にはいると剣道は必須となりしかし抜刀術という名前だった。

剣道と剣術、いつ頃からは知れないが言葉は違うが、内容はあまり変わりがなく防具や竹刀の開発につれて名前が変わったようで、明治維新の頃は剣術とは人殺しの術だったが、我々が剣道を習った戦前は多少その気配は残っていたモノの一つのスポーツになっていたようだ。剣術で言う五行の構えはすでになく、正眼の構えのみを教わった。
ところが中学に入り戦争が烈しくなると「抜刀術」という人殺しの術を教えられるようになり八相の構えが正規の構えになり、肩から斜めに切り下ろす事だけを教わるようになった。
剣道に限らず武道は総て戦後一旦禁止されたがやがて復活し、柔道などは世界的なものになっている。私の剣道の歴史は戦争と共に終わった。
道と術については稿を改めて考えてみたいと思っている。

人間は生きる義務がある・・・・私の家は代々曹洞宗でその分本山の大雄山最乗寺には屡々連れて行かれた。私の代になってからも子供達を連れて行った。本山の永平寺にも私は参詣した。
この事から私の座右には修証義なる曹洞宗の経典が置いてある。私は本来無神教の理系人間で通読した事はないが、冒頭にある「生(しょう)を明(あき)らめ、死を明むるは佛家一大事の因縁なり」だけは若い頃から憶えている。
人間死を諦めるのはよく言われる事で徐々にその境地には近づいており、特に80代になってからは自然にその境地にある。
生を諦める事は努力がいるが、幸に私は物事に執着しないので若い頃からこの境地にはある。この事は言い換えれば「人間には生きる義務がある」と言う事と似たようなモノではないか。
私は人生において外から見える事と外からは見えない事もあるけれど挫折を繰り返している、人によっては自殺を考えるような立場に追い込まれた事もある。
しかし私は生を諦めた為に幸せな人生だったと思っている。

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